| ◆1461(寛正2)年 |
| 大津・本堅田の本福寺第3代住職である法住は、布教伝道の拠点として各地に本福寺の支坊(支院・道場)を建立した。その支坊のひとつとして、大津・大門通に建立された「外戸(せと)道場」から当寺の歩みが始まる。法住門下のひとり、道覚が道場主に就いたとされる。 |
| ◆1468(応仁2)年 |
| 堅田に攻め入ってきた衆徒から親鸞聖人の御像をお守りするため、堅田から当寺へ御像をお移ししてお守りする。(翌年、大津・近松御坊へ御動座) |
| ◆1605(慶長10)年 |
| 外戸道場が手狭になったため、大門通から現在地である大津・長等(旧・東今颪町)に移転する。 |
| ◆1648(慶安元)年 |
| 大津街中の整備にともない、堅田本福寺が大津本福寺の興隆を図る。本堂などの整備を経て、道場から本格的な寺院となる。 |
| ◆1685(貞享2)年 |
| 第11代住職である明式は、松尾芭蕉の門下に入り、千那と号した。たびたび、句会を開き芭蕉を招いたとされ、それにともない「芭蕉寺」と号した。 |
| ◆1860(万延元)年 |
| 本堂の改修を行ない外陣を一新する。なお、内陣は1648年当時のものと思われる。 |
| ◆1871(明治4)年 |
| 長き間、「大津通寺」または「大津通院」として堅田本福寺の住職が当寺を兼務し、2か寺間を行き来していた。やがて明治に入り兼務は解消され、堅田本福寺より独立した寺院となる。山号・寺号ともに同じく「夕陽山 本福寺」として、初代住職を京都伏見・西教寺より迎える。 |
| 明治初頭には、わずかな期間ながら当時の本堂が大津県庁舎(現・滋賀県庁)や修道学校舎(現・市立長等小学校)として用いられるなど、地域の発展にも寄与したことが史料に残る。 |
| ◆2000(平成12)年 |
| 蓮如上人500回遠忌を機縁に太鼓楼と庫裏、書院を解体・新築して、山門と法物蔵を改修する。あわせて参道と境内を整備して、参詣者駐車場を増設する。 |
| ◆2023(令和5)年 |
親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要を機縁に、傷みの激しい本堂を解体・新築する。新本堂は鉄筋造とし、耐震構造・空調設備を取り入れる。あわせて一部境内を整備して、参詣者駐車場を再増設する。![]() |
| ◆2025(令和7)年 |
戦時下での梵鐘の供出以来、長年にわたって当寺鐘楼には代わりに角石が吊るされていた。この年の春、ご縁あって県内の真宗寺院より梵鐘の無償譲渡の申し出を受ける。初秋に梵鐘をお迎えして、約80年ぶりに鐘楼に吊るす。
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| ◇現住職は、堅田本福寺より第20代目、明治4年に伏見・西教寺より迎えてからは第4代目となる。 |
| 浄土真宗本願寺派 滋賀教区大津組 所属 |

本福寺[滋賀県大津市本堅田]

